懐古の10月
皆様こんにちは、ぺんたんです
幾つかの郵便物の中に
見覚えのあるアルファベットの文字を見つけた
あ、ヨートのママからだ!
え?でも何、まだクリスマスカードの季節じゃないし、、
そう言えばここ何年かはクリスマスカード来てなかったなー
そう思いながら
封を開けた
留学生
時は15年〜20年近く遡る
長い長〜〜いお話なので、適当にスルーしていただきたい
その頃私は交換留学生のお世話をしている団体や、日本に来ている留学生や職業訓練生などの外国人と交流をしている人たちと出会い、ホストファミリーをしているお家にお邪魔したりして交流を楽しんでいた
留学生を受け入れている家では「ウェルカムパーティ」や「フェアウェルパーティ」が開かれて、皆それぞれ料理を1品ずつ持ち寄って交流を楽しむ
私はこの持ち寄りパーティが大好きだった
もちろんその頃はまだ薬膳とは出会っていなかったけれど
私の作る料理はとても好評で
皆は「美味しい、美味しい」とすっごく喜んで食べてくれた
だからいつも他の人たちと被らない様な料理を考えては作って持って行った
留学生たちもお国の料理を作ってくれた
タイの大学生が作るグリーンカレー
中国の大学生が皮から作る水餃子
どれも本当に美味しかった
そのうちに私も勇気を出してホストにチャレンジした
- 韓国の小6の男の子・・オモニから大量の手作りキムチが送られてきて驚いた!
- アメリカの高校生・・背が高くてクールな彼を伊賀に連れて行って忍者の扮装をさせたらめちゃ興奮して走り回った
- メキシコの女性・・トルティーヤの作り方を教わって皆んなでタコスをいっぱい食べた
- 香港の大学生・・4声の中国語とは違う6声のカントン語を教えてくれた
ただ
この時はどれも2週間程度のものだったので、留学生が日本の学校に通うということはなく、見学程度に近所の中学校にお邪魔させてもらうぐらいの事だった
そして少しだけホストに慣れた頃
「6ヶ月間の受け入れをお願いできませんか?」とお話が来た
今度は日本の学校に通う留学生の受け入れだ
普通は年間を通しての10ヶ月か、夏休み期間中の6週間のプログラムなんだけど、この時はイレギュラーなプログラムで、オランダから何人かの高校留学生がやってくる事になっていた
近所にある私立高校に行かせよう!
自転車で行けるし、電車に乗っても一駅だし
そう決めてオッケーの返事をしたら、
お世話係の岡さんから3枚の留学生のプロフィールが送られてきた
「どの子がいいですか?」
そう言われてもよくわからない
よくよく読んでみると1人の男の子のプロフィールに
「ドラムをやっています。日本のドラムもやってみたい」と書かれていたので
「このヨート君にしようかしら?日本のドラムがやりたいと書いてありますし、」と返事をすると
「私もそう思ったんですよ、だってお近くの私立高校は和太鼓部の活動が盛んですもんね」
どうやら岡さんも同じ思いだったらしい
早速、岡さんは私立高校へホストスクールのお願いに行ってくださった
ところが返事は
NO!
「うちの高校では、、、とてもとても、、」と職員会議で却下されたそうだ
この高校は学業のレベルが低く、この辺りの中学生は皆「滑り止めの滑り止め」として受験する、そんな高校
でも、そんなの関係ネェ!!
だってホストはボランティアで、食費から高校へ通う交通費など全部負担しなくてはならない
それに、留学生が学校へ通うということは、ぺんたんも学校へ行かなければならない事が何度かはあるだろうし、近いに越したことはない
もう一度お願いして見てください、和太鼓部の事もあるし、と岡さんに懇願してみた
岡さん、やりました!お見事‼︎
お陰でなんとか渋々ホストスクールを引き受けて頂き9月から1月まで通うこととなった
8月半ば、名古屋駅で出迎えたヨート君は190㎝、100kgの大柄な男子高校生
軽く挨拶をして車に乗り込む、、
狭そうだけど、なんとか乗り込む、、、
小さな家には不釣り合いな大きな留学生がやってきて
ご近所の皆様もさぞ驚かれるだろうと
ヨートを連れて挨拶まわりをする事にした
この頃の私は、今の5倍以上の仕事量だったので、仕事の帰りも遅く
ヨートが1人で家にいる事も多くなる
ご近所さんにはよろしくお願いしておかねば、、
ピンポンを押して、いざご挨拶となったが
なんと彼は一言も日本語が話せない
「わたしはヨートです」さえも言えない
出かける前に何度か練習をさせたのだが
「たわしはヨートです」と言っている
その度に「わたしは、、」と教えるが効果なし
2、3軒まわったところで
ま、いいか、「たわし」のが面白いし、、と諦めて
ヨートは「たわしはヨートです」を言ってまわった
ご近所の皆様は助けを求めるように私の顔を見て目をパチクリさせていた
日本にやって来る留学生たちは本国で日本語の授業をとっていたり
独自で日本語の勉強をしていたり
親が日系だったり で
日本に来て日本語を上達させたい学生さんが多い
けれど、ヨートは日本語には全く興味がなく
日本の高校に通う事がわかっていながらも
1語の日本語も身につけずにやってきた
その上
ノートも鉛筆も文房具は何一つ持っておらず
「どうするの?」と聞くと
「日本で買えばいいと思って」などと言っている
1本だけ鉛筆を見つけたけれど、どう見ても日本製
「これは?」と聞くと
「東京のオリエンテーションでもらった」と言う
何かの書類に記入する時にスタッフがくれたらしい
年間のプログラムでやって来る留学生は「公文」の課題が与えられ、平仮名や漢字の勉強をする
定期的にお世話係の人に提出し、ステップアップしていく
ヨートにもその課題が与えられ
岡さんから「聞いてるわよね、これをやっていくのよ」とドリルを渡されたが
「僕はこれはやらない」と初めから全くやる気がなかった
岡さんも「様子をみましょう」と言っていたが、暫くして諦めた
そうしてヨートは
毎日、お弁当と体操服と鉛筆&ノートを持って
呑気に自転車で学校に通った
私は毎朝お弁当を作り
仕事で帰りが遅くなる日は夕飯が遅くなるので、おやつも用意して出かけた
海の街にやってきたヨートだけれど
魚が大嫌いだった
魚介類は全て×
キノコも嫌い
豆腐も嫌い
カレーも嫌い
野菜も調理法によっては食べない
私は毎日頭を抱えて献立を考えた
ただ、ご飯だけは喜んで食べた
岡さんが時々ヨートを連れ出してくださったけれど
好き嫌いが激しすぎて外食も出来ないので
私はいつも「ライスボール」を作って彼に持たせた
日本に来て日本語を一言も話さない、学ぼうとしないヨートだったが
日本人の英語の下手さは徹底的にバカにした
もちろん私もRとLの発音を直されたし
「僕が何を聞いてもクラスのみんなはヘラヘラ笑ってイエスイエス、、と言うだけだ!」
「女の英語の先生に、英語が全く通じない!英語の先生なのに、なんでなんだ!」と文句タラタラだった
担任の男性の英語教師は、一緒懸命ヨートに日本語を教えてくれて
50音表を作り「Aシリーズ、Kシリーズ、Sシリーズ、、」などと
あ行、か行、さ行等を教えてくださったが
ヨートの余りのやる気のなさに、、やっぱり諦めた
もちろん私もヨートに日本語を教えた
「おはよう・おやすみ」
「行ってきます・ただいま」
「行ってらっしゃい・おかえり」
「いただきます・ごちそうさま」
なんとか覚えたけれど、どの言葉をどのタイミングで使うのかが覚えられない
「ただいま~」と私が言うと
「いただきます」と返事が来るような毎日だった
そんなヨートでもすぐに習得した日本語がある
「箸」
「これは、箸、」と食事の時に教えると
ニタッと笑って「ハーシー」と言う
「すごい!言えるじゃない」
「オランダでハーシーはソフトドラッグのことなんだ」と
すっかり気に入って「ハーシーハーシー」を連発している
オランダではソフトドラッグは合法
それ以外に学校で覚えてきた日本語は
「おっぱいいっぱい」
「ヘンタイ」
ある時、名古屋で『私立高校授業料値上げ』に抗議する集会が開かれるということでヨートもクラスのみんなと一緒に出かけた
帰ってきたらヨートは自慢げに
「今日、僕はみんなと一緒に叫んだんだ」
「そう、。」
「日本語で叫んだんだ、ヘンタイ!ヘンタイ!ヘンタイ!」
ハンタイ、、、(^^;;
ヨートはとてもおしゃべりで
夕飯の支度をしている私の周りをウロウロしながら、いつも喋っていた
私が日本語で適当な事を言うと
「今、なんて言ったんだ、英語で言え」と、しつこく迫って来る
英語が得意ではない私は出来るだけ余分なことは言わないようにしていたが、
あんまりごちゃごちゃうるさかった時に
「ったく、しょうがないなぁ!」と叫んだら
これも英語で言え!としつこく迫るので
腹が立って
「no ginger (ノージンジャー)」と言ってみたら
「oh hum,,」と、納得してしまったw
英語が得意ではない私にとってヨートとの生活は大変な毎日だった
普段、あまり大声で怒鳴ったり怒ったりしないぺんたんではあるけれど
1度だけ凄くヨートを叱った事があった
感情が高ぶりうまく英語が出てこない
でも、何で私が怒っているのか、これをヨートにちゃんと伝えようと
知っている単語総動員で、必死に喋っている私の前で
叱られている事はわかっているヨートがしょんぼりしながらも、小声で私の間違っている英語を正しいセンテンスに直して言う
腹を立てながらも
「ああ、そういう風に言うんだ」と冷静に聞いている私もいて、頭の中はグチャグチャだった
オランダではドラムと柔術を習っているというヨート
ある日
ピアノの蓋を開けて鍵盤を叩き出したのだが
これには驚いた!
素晴らしいリズム感だ
ピアノは完全に打楽器となり抑揚のついた細かなビートが弾き出される
電子ドラムが置いてある楽器店にヨートを連れて行き
ヘッドホンをかけて叩かせてもらった
やっぱり、、凄い!
和太鼓を楽しんではいたが苦労していたし
私がめちゃ褒めたので
すっかり気分を良くしたヨートは
家でピアノを叩き続けた
ガックン
ピアノの椅子が壊れた
彼の体重に耐えかねたのだ
ちょっと前に自転車が悲鳴をあげ、パンクして買い替えたばかりだった
ヨートが来てから、オランダから色々なものが頻繁に送られてきた
ヨートの好きなチョコレートドリンクやチョコレートクリームなど
「これはぺんたんに、ってママが。英語の勉強になるから」とDVDを渡された
「一緒にみよう」と、これまたしつこい
DVD はオランダの映画でもちろん音声はオランダ語、それを英語字幕で観る
?英語の勉強したいなら、英語の映画みた方が良くない?と思いながらも
▶️
映画が始まると、ヨートは英語で解説をして来る
ストーリーは
ある1人の女性が少し精神を病んでいて
男性と出会っては別れ
出会っては別れを繰り返す
しかし!
相手の男性が変わるたびに、性描写が激しくなっていく
どんどんどんどん激しくなっていく
それをイチイチ、ヨートが英語で解説する
わーーーーーッ
ヨートのママ、これが英語の勉強ですかーーーーッ‼︎
いつまで経っても日本語を話せない、話さないヨートは
クラスメイトとも打ち解けず
部活仲間からも疎まれ
女性の英語教師からは敵視され
みかねた私が
知り合いの高校生にヨートの相手をお願いしてお出かけさせたりもした
「英語の勉強になるから良いですよ!」と皆、快く引き受けてくれたけれど
「楽しかったですよー、英語の勉強にもなったし、、でも1日で十分、もう結構!」と
どの子からも1回でお断りが来た
ヨートがみんなに受け入れられないのは
彼が日本語が話せないからでも
日本人が英語が下手だからでもない
ヨートは人を不愉快にさせる事がとても上手だった・・・
帰国の日も近づき
留学生交流団体から、『帰国前の報告会』のお知らせが届いた
年間プログラム、6ヶ月プログラムの留学生は全員1月に帰国するので
その前に中部地方に滞在している留学生とホストが集まって、この1年間を振り返る
『留学生はこの留学での日々を原稿用紙にまとめ日本語でスピーチするように』と
何枚かの原稿用紙が同封されていた
「どうするの?『おっぱいいっぱい』なんてスピーチはできないわよ」
ヨートはケラケラ笑っている
「英語で書くよ」
「そう、じゃあそれを日本語になおしてあげるから、読めるように練習するのよ」と言ったのだが
「書けた?」
「まだ」
「書けた」
「10%ぐらい」
「書けた?」
「15%ぐらい」
と、いつまで経っても書かない、書く気がない
仕事から帰って来るとヨートはいつもテレビを見ている
「明日中に書き上げなさい!私が帰って来るまでに、絶対よ!」
英語の原稿を適当に意訳し、それを日本語で書き、それにローマ字でルビをふる
この作業をしている私の隣で、全く関係ない顔でテレビを見ているヨート
次の日は学校で別れのスピーチをする事になっていて
ヨートはこのスピーチを使うつもりにも関わらず
出来上がったローマ字付きの原稿を読もうともしない
「練習しないと絶対に読めないわよ」と言っても
知らん顔して寝てしまった
後日、学校にご挨拶に伺った時
「いやぁあのスピーチは本当に酷かったなぁ、何言ってるか全くわかりませんでしたよ」と担任の先生に言われた
そして『報告会』
長方形の会議室
両サイドの長い方の壁に沿って会議テーブルと椅子が並べられ
ホストと留学生、留学団体のスタッフとお世話係の人たちが対面になる様に座った
様々な国の留学生が集まり
主催者の簡単な挨拶の後、留学生のスピーチタイムとなった
どの学生も皆真剣にそして丁寧に日本語でスピーチをしている
手に持った原稿用紙はもちろん学生たちの手書きの日本語だ
中には
「漢字にハマってしまって、今ではホストよりも漢字に詳しくなってしまいました」という学生も
「毎朝、新聞を読むんですよ、彼は日本人でもかけない様な『薔薇』とかまで書けるんです」とホストが嬉しそうに話している
スピーチは順番に続いていくが
スピーチもその後の質疑応答も全て日本語で行われているので
ヨートは皆が何を言っているのか、、さっぱりわからない
ヨートがスピーチを始めた
数回は家で練習をさせたが、やはり読めない
つまり
全く英語の文章を見た事がない子供が
その英語の上に書かれたカタカナのルビを読み上げている
そんな状態
私が小声で読み方を伝える
ヨートが読む
私が小声で読み方を直す
ヨートが読む
これの繰り返し
当然、私の小声はバレバレで
会場にいる留学生やホストは笑いを堪えるのに必死だった
スピーチが終わり
お世話係の方たちから留学生へ賞状が渡された
『公文』の進み具合で級が決まり
それぞれに級の書かれた賞状が手渡されるのだ
1度も公文を提出していないヨート
でも岡さんは
「ヨート君にもね」と1番下の級の賞状をくださった
「ヨート君もよく頑張ったから」と褒められ
すっかり気をよくしたヨートが偉そうにベラベラ喋り始めたので
「because of me !」と言ってやった
それからプレゼントタイムが始まった
留学生からホストへ
感謝の気持ちを込めてプレゼントを渡すのだ
このプレゼントはホストには内緒で準備しておくよう留学生たちに伝えられていた
「ホストの方は開封せずに留学生に渡してください」という封書でね
ひと組ずつ
留学生とホストが中央に出て
感謝の言葉と共にプレゼントを渡す
受け取ったホストは中味を皆にみせ
拍手が湧き起こる
プレゼントは手作りの品だったり
手書きの毛筆の書だったり
皆、工夫を凝らしていた
最後にヨートと私の番になり中央に進み出た
ヨートが英語でペラペラと感謝の言葉を述べ、紙袋に入ったプレゼントをくれた
「これはオランダのDVDで、、」と説明を続けている
「DVD⁈ 」嫌な予感、、、
本来ならここで袋を開け、皆にプレゼントを見せるのだが
私はそれをせず、お礼の言葉だけ述べた
周りの人たちは⁇な表情だったけれど
万が一、袋を開けてセクシーなDVD が出てきたりしたらと思うと
怖くて開けられなかったw
こうして問題児ヨートはオランダへと帰っていった
帰る前にヨートはこんな事を言っていた
「ぺんたん、次に留学生を受け入れる時は僕みたいな出来の悪い子じゃなくて、もっといい子が来るといいね」
「そうね」と私は笑った
この頃
日本とオランダの国家間で何かがあって
日本はオランダに奨学金を出して何名かの留学生を招き入れた
ヨートはパパの仕事の関係でその恩恵を手に入れる事ができ
ママに背中を押されて日本にやってきた、、らしい
『タダ』だから日本に来た
『タダってほんとダメだよね!』
と、やたら無償化を叫ぶ政治家に私は言いたい!!
パパ&ママ
受け入れた留学生たちの中には帰ってからe-mailで連絡をくれたり
何年か後にまた日本に来て会いに来てくれたりする子もいた
ヨートはもちろん全く音沙汰なしだけれど
ヨートのママはe-mailで丁寧なお礼の挨拶をして下さったし
クリスマスになるとカードも送ってくださった
あの3・11の東日本大震災の時
何人かの留学生は心配してすぐにe-mailをくれた
嬉しかった
ヨートのママは原発事故に驚き
「直ぐに避難していらっしゃい。ドイツに私たちの別荘があるから、そこで暫く生活するといいわ」と言ってくださった
狭い日本
ママはきっと日本中に原発事故の被害が及んでいると思ったのだろう
私たちを案じてくださるお気持ちが嬉しくて涙が出た
そんなママから
「主人と2人で日本に行きます」とe-mailが届いたのは
ヨートが日本に来てから7、8年後、震災から2年後だったと思う
東京観光ののち、こちらへやって来ると言う
ヨートのママ&パパと2日ほど一緒に過ごす事にして
1日目は知多半島巡り
『ジャンボエビフライ』で有名なお店でお昼を食べた
もちろん「お刺身は食べれますか?エビはどうですか?」と前もって聞いたのだが
パパもママも好き嫌いなく喜んで食べてくれた
ヨートとは大違いだ
『焼き物の街』として有名な常滑市にも行き
常滑焼きやら、日本の色々な焼き物が置いてあるお店を巡った
パパは時々ママをからかいながら
ママはそれをちょっと怒ったりしながら
仲睦まじい夫婦だった
パパは『豚の蚊取り器』を一緒懸命覗き込み
空洞の部分に蚊取り線香を吊るすのが面白いと、購入した
それから
アポを取っておいたヨートのホストスクールを訪ね
担任の先生と歓談したり、、
和太鼓部の演奏を聴かせてもらったり、、
パパとママはとても感動していた
2日目は伊勢神宮に出かけた
ヨートが日本にいる時に連れて行った場所でヨートはとても気に入っていた
「日本に行くなら伊勢神宮に行って来るといいよ」とヨートに言われたらしい
伊勢神宮でもパパは興味深げに建物を見て写真を撮りまくっていた
「人生は旅です!旅をする事は本当に素晴らしい‼︎」パパは目を輝かせて仰った
ママは食事をしながらも「ヨートはどうでしたか?ちゃんとやってましたか?」とまるで日本人のお母さんのような台詞を言う
もう7、8年も前の事なのに、、
「ええ、とっても優しい子でしたよ。私が手首を痛めていたら『柔術の時に使うクリームだけど、塗るといいよ』と渡してくれたりして」
ママは安心した顔で頷いていた
たった2日間の事だったけれど
留学生のご両親と会ってお出かけしたのは後にも先にもこの時1回きり
私の中で印象深く残っている
英語
先にも書いたけど
私は別に英語が得意だった訳でも好きだった訳でもない
中学3年間、普通にカタカナ英語の授業を受け
高校3年間、受験のための英語の授業を受け
大学に入ってからは英語とは無縁でその後の人生においても無縁
ホストをしてみてつくづく感じる事は
正しい発音で授業をして欲しかったな、と思う
カタカナ英語のおかげで簡単な単語さえも聞き取れない!
カタカナ英語は『百害あって一利なし』
英語は単なる『教科』ではなく『言語』だ
『言語』はコミュニケーションをとる為の大事なtool
ヨートの受け入れをしていた頃
岡さんが教えてくださったけれど
外国で日本からの留学生(高校生)の受け入れをしてくださるホストを見つけるのがとても大変だと言う
なぜなら、英語が通じないから
ヨーロッパの子達は普通に英語でコミュニケーションが取れるので問題ないけれど
日本人・韓国人・ブラジル人は圧倒的に英語が下手でホストから敬遠されるそうだ
もちろん、日本から留学する場合は英語の試験があって(英検2級程度)
それに合格しないと留学できないのだけれど
合格しても『聞き取れない話せない日本人』だ
私がホストをしていた期間は12〜3年間
その間に12人の留学生を受け入れた
最初が韓国の小学6年生の男の子
そして最後に引き受けたのは
韓国の高校2年生の男の子
小学6年の男の子が来た時、当然彼は小学生なので英語もわからず
私も簡単な韓国語しかわからずコミュニケーションをとるのが大変だった
でも『筆談』ができた
漢字を書いて色々な事を伝えることができた
この頃の韓国はまだハングルだけでなく漢字教育があったのだ
ところが
最後に引き受けた韓国の高校生
彼は漢字は全く読めなかった
この12、3年の間に
韓国は漢字教育を捨て、完全に英語教育にシフトしていた
高校生の彼は英語がペラペラで(日本語はさっぱりだったけれど(^_^;)
彼以前に我が家に来ていたアメリカの留学生とface time でなんの問題もなく会話をしていた
日本は?
日本の英語教育は?
日本の高校生は海外のホストに嫌われなくなった?
余談だけれど
ヨートがいじめた女性の英語の先生はあの後学校をお辞めになったそうだ
まだお若い先生だったので
あの経験をバネにして
彼女が奮起しブラッシュアップし
現場に復帰している事を期待したい
そうそう
ヨートのホストをあれほど拒んでいた学校だったけれど
その後、6週間プログラムの留学生のホストを何度も引き受けていただき
更に、年間プログラムの子まで受け入れてくださるようになった
今では『グローバル英語コース』までできて
『ネイティブ講師による生きた英語の授業!』
『海外語学研修も!』と進化が凄まじい
これって
Because of ヨート?
自然界便り
庭で見つけた小さなヘビ
夏の間、暑くて暑くて
田んぼのお散歩をサボってたぺんたん
久しぶりに出かけたら
稲刈りもすっかり終わって
亀の親子がのんびりお散歩してました♪
薬草園便り
山楂子を収穫しました
4個だけなので
刻んで青パパイヤと一緒に和えました
ちょっと酸っぱくて美味しい♡
金木犀オイルを作って
残りの金木犀で
『桂花蜜』を作りました
1年後が楽しみ〜〜〜
www.senninlife.com
編集後記
ママから手紙の封を開けると
英語で書かれた手紙と
オランダ語で書かれた案内状らしきものが同封されていた
パパが亡くなった
2020年に癌がみつかり闘病していたパパが
10月5日に自宅で亡くなった
家族は悲しみに暮れている
と 手紙に
オランダ語の案内状は葬儀の案内状で
パパの生年月日と亡くなった日が書かれていた
パパはまだ70歳だった
パパの笑顔が浮かんだ
ママをからかってる時のイタズラっぽい顔
豚の蚊取り器を覗き込む少年のような顔
旅を!と目を輝かせていた顔
たった2日間一緒に過ごしただけのパパだったけれど
ヨートとの日々も一気に浮かんできて、、
書かずにはいられない気持ちになってしまった
こうしてパパやママ、ヨートとの日々に想いを馳せる事が私なりのパパへの哀悼の意
常滑焼きの大きな壺の前で撮った写真
知多の海で撮った写真
懐かしい写真を同封して
お悔やみの手紙をママに送った
〜 〜 〜 ⭐︎ 〜 〜 〜
長々書きました
最後までお読み下さった皆様
ありがとうございました!